大判例

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東京地方裁判所 平成3年(ワ)15627号 判決

原告

東京共同株式会社

右代表者代表取締役

長文雄

右訴訟代理人弁護士

大場常夫

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

西道隆

小林紀歳

藤本清孝

理由

一  争いのない事実、当裁判所に顕著な事実並びに〔証拠略〕を総合すると、本件の事実経過の概要は、次のとおりである。

1  本件土地の換地前の従前地は、戦争中は旧東京第二師範学校の敷地であったが、空襲により校舎等が焼失し、戦後間もなくから本件土地上に戦災者や引揚者等によりバラック等が建てられ、大規模なマーケット(いわゆる闇市)が形成された。右土地の占有者の中には上原孝助のように師範学校長から一時使用許可を得ていた者も含まれており、その後の明渡要求にもかかわらず、右マーケット関係者による占有が続いたままの状態で、昭和二三年六月、右土地は国から被告に返還された。そして、右土地を含む一帯の土地は、東京都市計画第一〇地区復興土地区画整理事業の対象とされた。

2  被告は、区画整理事業の円滑な遂行を図るためマーケットのバラック等の建物を撤去しなければならなかったことから、昭和二六年五月、都有財産管理運用委員会の審議を経て、概ね次のような事項を含む処理方針を立てた。

一 区画整理事業の対象土地は、本方針によって処理されるほかは、一般事業用地の処分方針によって売却処分し、事業財源に充てる。

二 対象土地について国から一時使用を認められた賃借人に対しては、借地権は認められないので、借地権の換地指定はしない。

三 対象土地の占有関係者(右賃借人、現建物所有者及び現居住者)のうち、右賃借人及び同人から転借、譲渡の形式で現在建物を所有している者に対し、占有している地積に応じた地積の土地を、随意契約により売却する。区画設計上必要があるときは、適当な区画割を設けて、共同して買い受けさせる。

四 昭和二六年一月一一日焼失した敷地(上原孝助所有建物の一部)については、焼失当時の建物所有者及び居住者は、占有関係者とみなす。

3  被告は、右方針を占有関係者に示して協力を求めたが、売却の対象者が右2の三のとおり一時使用を認められた賃借人及び建物所有者に限定されていたため、その他の居住者の協力が得られず立退は進まなかった。

そこで、区画整理事業の施行者である都知事は、昭和三五年六月頃、大長つや子らに対し、土地区画整理法に基づいて、建物を除却して立ち退くよう通知するとともに(右大長に対する除却期限は、同年九月三〇日)、本件地区を担当する東京都第四区画整理事務所が占有関係者(原告のいうマーケット関係者)に対する説明会を開催して、「皆さんが家屋を持ち又は営業しております旧学芸大学跡のマーケットは、区画整理を早急に進め、副都心にふさわしい池袋西口を建設するため、本三五年度中に整理することになっております。このマーケットのある土地は都有地でありますが、都では貸付や使用を認めていない、いわば不法占有の関係にありますし、又このようなマーケットの姿が、今後の副都心池袋のあり方として望ましいものではありませんので、整理に当たり一旦これを除却し、土地を都に明け渡していただきます。しかし、今回の都の整理に協力し除却を実行していただいた方々には、家主、借家人等関係者で結成した団体を対象として、整理後の都有地を正当な価格で払い下げ、皆さんがこの付近で再び営業等ができ得るよう特別の取計らいをしたいと考えていますので、お渡しした「除却通知書」に示す期限までに是非除却を実行されるよう御協力をお願いいたします。なお、期限内に除却を実行された方々に対しては、都有地払下げの取扱の外、休業補償金についても特別の考慮をする予定です。」との内容の「池袋駅西口マーケット処理について」のお知らせを配付した。

右措置がとられたことにより、昭和三六年四月頃までに、建物の撤去が完了した(その後昭和四三年七月換地処分が行われ、区画整理事業が完了した)。

なお、原告の代表者の一人である長文雄の元の妻海老沢きみに対しても、昭和三六年四月、本件土地上にあった同女名義の建物(債権者東京都の処分禁止仮処分のついた建物を、昭和三五年四月に購入したもの)につき、旧戦災復興土地区画整理施行地区内建築制限令に基づいて原状回復命令が出され、その直後頃、右建物は解体撤去された。

4  右の経過を踏まえ、被告は、昭和三七年五月、前記委員会において、個々の占有関係者に対する売却は行わず、団体を単位とし、当該団体において自主的に各々の権利を調整した団体を買受け適格者とする旨の方針を決定した。右方針に基づき、占有関係者らは団体を結成し払下げを申請することになり、三団体については昭和三九年末までに払下げが完了したが、上原組関係者等にかかわる本件土地については、「払下げ期待権」と称するものを売却した者も多く、池袋西口整備株式会社、池袋ビルディング株式会社、豊島中央ビル株式会社(同社は、占有関係者でない者が入っているとして、払下げを受けられなかった)、さらには払下げを受ける権利を譲り受けたとする瑞穂産業株式会社等、複数の団体や、長文雄個人も払下げを申請するなどのことがあり、被告は、自主的な権利の調整ができていないとして、払下げを実施しないでいた。

5  原告は、豊島中央ビル株式会社に代わるものとして、昭和五九年五月、上原マーケット関係者、須田グループ関係者(須田晴幸が管理していた土地の関係者)及び長文雄により設立された。同年七月、原告から被告に対し、本件土地の売却に関する申請書が提出されたが、被告は、原告の構成員の中には占有関係者が明らかに多数欠落し、役員の中に占有関係者と認められない者が含まれているなど、払下げの条件を満たしていると認められないとして、払下げを実行しなかった。

そして、被告は、昭和六〇年一一月、〈1〉従来の払下げ方針は、占有関係者の生活再建を考慮して決定されたものであるが、決定後二〇有余年を経過し、客観情勢も大きく変化していることから特定の者に払下げることは適当ではない、〈2〉占有関係者の中には死亡者、行方不明者もあり、「払下げ期待権」と称して第三者に二重売り、三重売りした者もあり。今となっては単一団体の結成される見込みは殆どない(仮に単一団体と称するものができても認定は極めて困難である)、〈3〉このまま放置すると、本件土地が利権の対象となったりするおそれがあり、公共用地として有効活用するためにも、早急に処理方針を変更する必要があること等を理由として、今後本件土地について払下げは行わず、被告において公共用地として利用する旨の知事決定をした。

6  その後も原告は、被告に対し、平成三年八月二六日本件土地の売払の履行等を求め、平成四年一〇月一五日の本件口頭弁論においても同様の意思表示をした。

二1 原告の主張は、要するに、被告がマーケット関係者(占有関係者)に対し、区画整理事業に協力して建物の収去や土地建物からの退去に任意に応じた場合には、マーケット関係者が結成した団体に対して区画整理後の換地の一部を払い下げる旨告知したことが、これに応じたマーケット関係者ないし原告の何らかの行為(建物の収去や土地建物からの任意の退去と団体の結成という事実上の行為、あるいは右行為プラス売払についての承諾の意思表示)と相まって、売払契約(売買契約)を成立させ、あるいは売払の請求に応諾する義務を負わせることになるというものである。したがって、本件の核心的な争点は、右被告の告知行為の法的な意味合い如何にある。けだし、そもそも右告知が売払契約の成立根拠あるいは売払請求に対する応諾義務の発生根拠とするに足りないものであったとすれば、原告が払下げを受ける団体としての条件を満たしているかどうかを論ずるまでもなく、少なくとも本訴請求は棄却されざるを得ないからである。

そして、払下げ(売払)は、取りも直さず売買契約であるから、売払契約が成立したというためには、右被告の告知行為が売買の申込みに該当すると認められなければならない。売払請求に対する応諾によって売払契約が成立するという法的構成は迂遠であって、敢えてそうした構成を採る必要があるかどうかは疑わしいが、いずれにしても、被告側の行為としては実質的には前記告知のみが売買契約の成立根拠となる以上、右応諾義務の発生根拠となし得るかどうかも、被告の告知行為が、売買の申込みと同様の要素を備えたものかどうかで決すべきであろう。

2 そこで、被告のマーケット関係者らに対する言明の内容について検討すると、前記東京都第四区画整理事務所名義のお知らせは、マーケット関係者を不法占有者とする認識を示し、徐却のうえ明渡を求める意思を明確にしたうえで、「整理に協力し徐却を実行していただいた方々には、家主、借家人等関係者で結成した団体を対象として、整理後の都有地を正当な価格で払い下げ」るという特別の取計らいをしたいと考えているので、除却通知書に示された期限までに除却を実行されるようお願いするというものであって、払い下げるべき土地やその価格も確定していなければ、払下げを受ける者も特定していない(結成されるかどうかも確定していない団体に払い下げるのであるから、当然であるが)という、未確定な要素に満ちた意思表示であるにすぎない。

もし、右意思表示が売買の申込みになるとすれば、結成された団体が承諾の意思表示をすることにより直ちに売買契約が成立するはずであるが、価格については土地が特定されれば都の基準等により確定可能であるとしても、肝心の土地の特定ができないのであるから、売買契約成立の効果など認めようがない。原告代表者須田道治は、早く決まった団体から居住地域に近いところから払い下げることが決まったとか、上原、須田、長、大長のそれぞれの建物所有地や管理支配地域が対象地であったとか供述するが、被告が右のような指針を正式に占有関係者に示したと認めるに足りる証拠はないばかりでなく、右供述を前提としても、払下げ土地が具体的に確定しているとはとてもいえない。証人大長つや子の証言も、払下地は説明会の後で消防署の前と丸井の裏と聞いたというだけで、具体的な土地の位置・範囲は判らないというのである。そもそも、区画整理後の土地を将来結成される団体に払い下げるという話であるから、区画整理案が具体的に確定せず、またどのような範囲の占有関係者がどのような形でいくつの団体を結成するのか決まっていない段階で、具体的な払下げ土地の位置・範囲が確定することなどあり得ないことであろう。また、原告代表者長文雄は、東京都建設局区画整理部長大野耐二が、昭和三六年四月一一日付けの原状回復命令書をもらった一〇日位後、海老沢きみ名義の建物が所在していた土地五〇坪を長個人に払い下げる旨確認した旨述べるが、前述のように右建物は被告が処分禁止の仮処分をしていたのを譲り受けたものであり、そうした建物名義人に対し、しかも、その頃には既に、前記のお知らせ等により、個人ではなく団体に払い下げるという方針が公表されていたのに、大野部長が右のような確認をしたというのは甚だ疑わしく、右長の供述は採用できない(甲第三三号証は、原本が提出されておらず、成立の真否を判定し難いものであるばかりでなく、文面の趣旨も曖昧であって、右大野部長の確認を裏付けるものとはいえない)。さらに、原告らについても問題になったように、払下げを受ける団体の適格性も問題になるから、この点についての被告の審査も経なければ、払下げの当事者も確定しないことになる。

3 右のように未確定な要素に満ちた意思表示を、売買(払下げ)の申込みと認めることは到底できない。〔証拠略〕によれば、占有関係者の間には、被告から換地の払下げを受け得る地位を「期待権」と称して他に売却した者が相当数いたことが認められるが、このことも占有関係者らが、払下(売払)契約が成立しているなどとは認識していなかった、一つの証拠といえるであろう。

東京都の約束違反を非難する原告らの主張に、観点を変えた場合、考慮されてよい点が仮に含まれているとしても、少なくとも、売払契約の成立または売払請求に対する応諾義務の存在を請求原因とする本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわざるを得ない。

三 よって、原告の請求はすべて理由がないから、訴訟費用につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 金築誠志)

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